パーフェクトストーム

2000年/米
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
原作:セバスチャン・ユンガー
主演:ジョージ・クルーニー/マーク・ウォールバーグ/ジョン・C・ライリー他


・メカジキ漁船の船長ビリーは船主に漁獲量の少なさを愚痴られる。
こればっかりは致し方のないことだが、不漁になれば報酬も少なくなるし、船員に支払う賃金も少なくなり‥‥やはりそこからも愚痴られの板挟み。
そもそもメカジキ漁はコツがあり、大漁か不漁かの2択しかなく、そこそこ大漁‥‥が無い。
・ある日ビリーは大漁を得るため、船員を乗せてグランド・バンクスのセーブル島東550キロ地点へ。
 仕掛けを海に落とし、夜明けが来るのを待っていた。
 しかしこのとき、バミューダ海域一体にハリケーン発生の恐れがあることを知らされるのであった。
・翌日、荒れ狂う天候の中でも、ビリー船長率いるゲイル号は、海に放った仕掛けを引き上げていた(よく酔わんな)。

 大荒れの海で、俳優にこんなことさせて大丈夫なの!?と心配になるが、撮影は当時最新鋭の撮影技法『VFX』が用いられている。
 以前のCGは主に『物』に対しての撮影技法だったが(ジュラシックパークの恐竜や、インデペンデンスデイの宇宙船など)、VFXを使えば、物はもちろん、『背景/天候/風のなびき/光の明暗』さえも作ることができ、CGの新時代の幕開けとも言われている。
当時は撮影したくても出来なかった技法を、この映画ではこれでもか!というぐらい多用しており、ほぼ全編スタジオ撮影というから驚きである。
船の揺れは、『ギャラクシークエスト』で使われた振動システムが採用されている(セット自体が揺れる)。
ただ‥‥『VFXを使うためだけに撮った作品』と映画評論家から酷評され、映画評論サイト「Rotten Tomatoes」では、『見た目だけが良い映画』と酷評され、更には『空調の利いたブルーバックで演技しているだけ』と酷評され(それ言ったらおしまいだよ、可哀そうに💧)アカデミーの視覚効果賞も取れず、結局『グラディエータ』が受賞してしまう惨事に(爆)。
この酷評の嵐に、スタッフらが「実際の海(台風が過ぎ去った後)でも撮影している」と釈明したものの、今度は「だったらVFXに頼らずに撮るべきだった」と意味の分からん事を言われてしまうのである。
 楽して撮ったらダメなのか?体当たりの演技じゃないと認められないのか?ブルーバックを背景にして、荒れ狂う海に恐れる演技なんて、そうそうできないよ(私だったら、白けてしまって演技できん)。

画期的なCGが出たら感動するのに、多用すると冷めた目で見られ、逆に手造りの特撮が称賛される。う〜ん、なんとも勝手なもんですねぇ。

・一向にメカジキは釣れず、イライラはMAXとなり、船員同士で罵り合いが起き始めた。
天候は徐々に悪化。船は大波に煽られて、何度も転覆の危機に遭うも、なんとか持ちこたえていた。
船員たちの中には、もう諦めようと弱気になる者も現れたが、せっかくここまで来たんだし、餌も投下しまくってるんだし、釣れれば一攫千金なんだから、もうちょっと頑張ろうと、とどまることになった。
船は東に進路を変え、魚の大群がいるといわれる一角を目指していた。
ただそこは‥‥今よりもさらに嵐が酷く、危険区域とされていた。
ここまで来たら、もう引き返せない!と船は進み‥‥そこには魚の大群が!大漁に当たったのである。
苦労した甲斐があったと、船員たちは大喜びで魚を獲りまくり、
しかし‥‥船倉が、大量の魚で埋め尽くされようとしていた時に限って、鮮度を保つ製氷機が故障してしまったため、港に帰る選択をせざるをえなかった。
そんな時、港までの航路中にハリケーンにぶち当たる可能性が出てきた。
ハリケーンをかわせば魚の鮮度が落ちるため、敢えて嵐を突っ切って帰ることに!
『船員より魚が大事』に聞こえてしまう。
いかにして船を嵐の中に追いやるか!?という、スタッフの魂胆が見え見えで、これも酷評される一因になったような気がする。

・かくして船はハリケーンの中へ。そのハリケーンの上には寒冷前線がいて、二つの嵐が合体し、『パーフェクトストーム』が発生。
これより、VFXスタッフの腕の見せ所&俳優の演技魂となるのであった!
ブルースクリーンの中、『目の前には嵐』という設定で動き回る。よほどの演技力が無いとばれてしまう。
『私は嵐の中にいるんだ!』と自分を信じこませ(?)て演技することで、作中、本当に嵐の中に船員たちがいるようですごい引きこまれたのを覚えている。
ジュラシックパークを撮ったスティーブン・スピルバーグは、俳優が少しでも真の演技に迫り、かつ素に戻らないよう、ブルースクリーンは極力使用しないようにしていた。
『ロストワールド/ジュラシックパーク』でバスがT-REXにより崖下に落とされるシーンでも極力ブルースクリーンは使わず、ビルの壁に即席の崖を作り、バスを屋上から吊るして撮影している。

作品のレビューは‥‥映画評論家が酷評しているように、人間味が無いこと。
人物描写が無く、ただワーワー言っているだけ。
観た後は、ただ船が凄かっただけで、内容が何も無い。
物語自体は実話を元にしていて、早い話が『自然は怖い』に尽きる。


挿入歌(紹介文については、歌が流れていた『場面』を指します)
Hungry Heart - Bruce Springsteen
https://www.youtube.com/watch?v=boJhWtw-6Gg
息子が出てくるのを待っているマーフ(バーの店内BGM)

No Woman, No Cry - Bob Marley
https://www.youtube.com/watch?v=pHlSE9j5FGY
息子とビリヤードを楽しむマーフ(バーの店内BGM)

Rhythm of My Heart - Rod Stewart
https://www.youtube.com/watch?v=wGepCAGkfAY
バーでアイリーンに声をかけるバグジー(バーの店内BGM)

Heart of Saturday Night - Tom Waits
https://www.youtube.com/watch?v=zMvyHKgOMG4
バグジーが、本名は「マイケル」だとアイリーンに伝える「

Tush - ZZ Top
https://www.youtube.com/watch?v=-jB_QM73Slk
漁を始める

Man in the Box - Alice in Chains
https://www.youtube.com/watch?v=TAqZb52sgpU
サリーがペンライトで“フォースと共に”

End of the Line - The Allman Brothers Band
https://www.youtube.com/watch?v=A1ay-YDOlyk
サリーに、自分を救ってくれたことに礼を言うマーフ

Yours Forever - John Mellencamp
https://www.youtube.com/watch?v=zMvyHKgOMG4
ED

アラジン

1992年/米
監督:ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ


・砂漠に囲まれた王国アグラバーに暮らすアラジンは、親友の猿アブーを連れ、町中をうろついている。
貧しすぎて食料を買えないため、生きていくためには‥‥盗むしかないほど。
しかし、くすねた食料を恨めしそうに見つめる子どもがいれば、迷いなく分け与える、心は優しい青年であった。
・アラジンを統治する王家では、お家騒動が勃発していた。
王女ジャスミンは、父親である国王から、結婚を催促されていた。
国王が候補として挙げたのは、他国の王子。「それって政略結婚よね?」とジャスミンは断り、窮屈で退屈な生活に、嫌気がさしていた。
国王は、国務大臣であるジャファーに、娘のことを相談する。
するとジャファーは、杖を使って国王に催眠術をかけて眠らせてしまい、王がはめていた指輪を奪ってしまう。
その指輪は、“選ばれし者”しか入れないといわれる『魔法の洞窟』を映し出し、さらには誰が“選ばれし者”かも映し出す。
実はジャファーは国を支配をもくろむ邪悪な魔法使いで、その好機を狙っていた。
『魔法の洞窟』の中には、どんな願いでも3つ叶えてくれる不思議なランプがあり、要するに“選ばれし者”にランプを取ってきてほしいのだ。
自分を国王にと願えば、この国は思いのままだ。
“選ばれし者”。そこに映っていたのは‥‥アラジンだった。
・アラジンは、今日も市場で食料を盗んでいた(なんでこんな悪ガキが“選ばれし者”なのかねぇ)
同じく、ジャスミンも変装をして王宮を抜け出し、この市場に来ていた。
見るもの全てが新鮮で、活気のある町に感動。
おいしそうなリンゴを見つけて‥‥『金を払って食べる』システムを知らないため、そのまま持っていってしまう。
店主が咎めるが、アラジンは他から調達してきたリンゴを店主に渡し、「ほら盗まれてないよ」って‥‥そりゃぁないだろう。
ジャスミンを気に入ったアラジンは、ジャスミンをボロ家に招待。日々の食事を心配したり生活はうんざり。その日暮らしの生活から抜け出して、宮殿で暮らしたいと告げる。
ジャスミンは、「でも王宮に入ったら、こんな自由な生活は出来ないけどね」と思ったが、あえて言わなかった。
自分の身分を隠していたジャスミンだが、王宮には既にバレており、アラジンは王女ジャスミンを誘拐した罪で投獄されてしまう。
そこで、アラジンはジャスミンが王女だと知り、ボロ家に招き、王家に憧れることを語った自分を恥じたのであった。
・ジャファーは、『魔法の洞窟』にアラジンを入らせるため、「ランプを取ってこれば脱獄させてやる」とアラジンに取引をもちかけ、アラジンは二つ返事で取引に応じた。
洞窟内では、魔法の絨毯の協力もあって、ランプをすんなり発見し持って帰った。
ジャファーがランプを受け取った瞬間、ジャファーはアラジンを洞窟の外には出させず、そのまま閉じ込めてしまう。
アラジンも、完全に洞窟の外に出てからランプを渡せばよかったのに‥‥。心優しい青年と聞こえはいいが、単純で、人を疑わないおバカともいえる。
しかし、盗られたランプは猿のアブーが盗り返し、再びアラジンのもとに戻った。
こんなランプだけ有ってもなぁ〜と、試しに擦ってみると、ランプからランプの精ジーニーが飛び出てきた。
妖精(ディズニーでは『魔人』となっている)ジーニーはアラジンを主人と崇め、どんな願いでも3つ叶えてくれるという。
ただし、NGな願い事もあり、殺人・死者の復活・恋の成就は不可能だという。他にも‥‥『願いを増やせ』も無理とサラリと言っていた(爆)。
・残り2つの願いはどうするか。欲の無いアラジンは、何も思いつかなかった。
ジーニーは、欲しいものとか、欲しい地位とか、何もないのか?とアラジンは問う。
だったら‥‥と、君だったら何をお願いするんだい?と問い返した。
人の願いを叶えるだけだったジーニー。彼は『自由が欲しい』と言った。
だったら、「最後の願いで君の願いを叶えるよ」とアラジン。
実質これで、アラジンが叶えられる願いが1個になっちゃった!と思いきや、さっきの『洞窟から出して』はノーカウントだったことが判明。
僕は洞窟から出たいなぁ〜でもジーニーには無理だろうなぁ〜と独り言を言っただけで、ジーニーが勝手に僕を出しただけだと。
‥‥ずる賢い。これにはジーニーも少しムカついたようである。
・さて改めて、最初の願いはどうするか?
ジャスミンと結婚したい!でも、法律上、王家は王家としか結婚できない。だったら‥‥僕も王になればいいじゃん!
というわけで、ジーニーに願いを叶えてもらい、どこかの国のリ・アバブア王子に変身し、いざ王宮へ。
でも、これってどうするんだろう?既に各国々には国王は要るわけだし、新たにポッと国が生まれるわけでもないし──。
ディズニー映画では、そういうことを突っ込んではいけないのだ!
・一国の王となり、ジャスミンに求婚するアラジン。
毎度いつものことだと、ジャスミンはうんざりして相手にしなかった。
しかし‥‥その王が、魔法の絨毯に乗ってアラジンをデートに誘ってきたのである。
なんてロマンチック!と、ジャスミンは絨毯に乗り、デートを楽しむ。
二人の距離が近いためか、ジャスミンは、国王が市場で出会った青年と知るのである。


海がきこえる

1993年/日
監督:望月智充
原作: 氷室冴子


厳密にいうと、これを『映画』として紹介するべきか悩みましたが…私は映画館で観たんですよね。
だから、私の中では『映画』です


・高知から上京し、東京の大学に進学した杜崎拓は、吉祥寺駅ホームでたたずむ一人の女性に目が留まった。
その女性は、拓が高知の高校に通っていた時代、東京から転入してきた武藤里伽子というクラスメイトだった。
本人である確証はないが、武藤里伽子だった‥‥ような気がした。
拓は、同窓会のために高知へ帰省しようとしており、飛行機の中で出会った武藤里伽子っぽい女性を思い出しながら、高校時代の想い出を振り返ろうとしていた。
要するに‥‥回想が本編である。
・想い出は高校2年。
拓には松野という、同い年ながら尊敬している親友がいた。
ある日、転校生がやってくるという情報が駆け巡った。都会の東京から、わざわざ田舎の高知に来るんだって!しかも転校生は女生徒で美人ときた!
いつもクールの松野が浮かれている。はたしてどんな子なんだろう?やはり都会っ子なんだろうか?流行の先端なんだろうか?と興味津々だ。
一方の拓は、自分のクラスに来るわけじゃないので、特に何も感じていなかった。
・里伽子はクラスでは浮きまくった存在だったが、本人は全く気にしていないようであった。
松野は、そんな何物にも臆すことなく堂々としている里伽子にいつしか惹かれていくのだが、そんな松野の心に気づいた拓は‥‥なんだか嫌な感じだ。
自分のほうが松野に詳しい。だって親友なんだから。松野の魅力は、つい先日やってきたばかりの里伽子にわかってたまるかと、二人の仲を応援したくない複雑な心を抱えていた。
もし松野と里伽子が恋仲になれば、自分との距離が遠くなってしまうのでは‥‥と、思ってしまうのもまた切ないです。
別に二人の親友関係が壊れるわけじゃないし、自分は里伽子のことはなんとも思ってないのだから、三角関係になることもない。でも‥‥なんか嫌だっていう感覚、ウンウンよくわかるよ。
・季節は流れて修学旅行となり、旅行先はハワイ!
拓は里伽子に、「お金を貸して」と言われてしまう。理由は「所持金を失くしたから」
拓は、自分に借りるより担任に相談するべきだと促す(そりゃそうだ)。
しかし里伽子は「言いたくない」と拒否した。
いきなり金をせびられた拓は、お金の管理に甘い里伽子を責め、なぜ担任に言いたくないのかと尋ねる。
すると里伽子は逆ギレし、「早くお金を貸してよ!」と金を無心する。
根負けした拓は、渋々6万を貸してしまうのである(かなりの大金だぞ)。
・旅行が終わっても、里伽子は拓に6万を返さなかった。
拓は「借りたことなど忘れてしまったように──」と、里伽子の常識を疑うが、拓もきちんと請求したほうがいい。6万借りて返さないって、かなり酷いよ。
・ある日、クラスメイトの小浜から悲痛な電話がかかってきた。
そういえば、この時代ってまだ携帯無いんだ。有線の電話を限界まで引っ張り、誰にも聞かれないよう廊下まで出て、階段で話している。悲しいかな筒抜け状態であるが、こうするしかなかった時代です💧
あまりにも、電話口から聞こえる小浜がテンパっていたので宥め、何が起きたのかを聞いてみる。
「今、空港なの。二人でコンサートにいくつもりだったけど、里伽子ったら、本当はお父さんに会いに行くつもりだったんだって!行き先が違うのよ。お願い拓、里伽子を止めてよ!」
正直、拓にとってはどうでもいい話である。里伽子と小浜が二人でどこに行こうと、知ったことではない。
そのため、つい「どうして俺に言うんだよ!」と怒ってしまった。
すると小浜は「だって里伽子、この日のために拓に6万借りたって言ったの。お金のやり取りするほどの仲なら、里伽子を説得できるでしょ?
全てを理解した拓は、大急ぎで高知空港へ。
里伽子はお金を失くしていなかったのだ。タクシーの中で、あまりの里伽子の非常識さに呆れてしまう。
怒りに震える拓だが、空港で会った里伽子の青ざめた顔を見て、怒りは一気に消え失せ、一転心配モードになってしまった。
里伽子は「大丈夫。病気ではなく生理だから」と言い、今日を乗り切ればいいだけなので、親には会いに行くという。
逆に東京に行きたくない小浜は、里伽子に「体調が悪いならキャンセルしようよ」と勧める。
小浜も自分のことでいっぱいいっぱいになっており、「里伽子がこのまま体調崩して予定を取りやめにてしてくれたらいいのに」と、かなり酷いことを言っている💨
里伽子は頑として首を縦に振らず、「じゃあ一人で行くからいいわよ」とブチ切れた。
小浜は、里伽子の言葉通り帰ってしまい、里伽子は独りで東京に行くことになってしまった──。
拓は、顔色の悪い里伽子を一人で東京に行かせるのが可哀そうになってしまい、「俺が一緒に行ってあげようか?」と尋ねる。
一応これは、社交辞令のつもりだった。「そんな‥‥悪いわよ」と断るのが普通である。
しかし里伽子は‥‥「ほんと!?」と目を輝かせ、てっきり断るだろうと思っていた拓は、ギョッとしてしまうのであった。
・東京のホテルで、自宅に電話をかける拓と、母親との会話が面白い。
夕飯の時間に間に合わなくなり帰れないことを告げる拓と、だったらいつ帰ってくるの?と尋ねる母親。
東京にいるから夕飯は食べられないと断る拓に、「朝おったじゃない」と笑う母親。
まさか、その時の気分で、パーッと高知→東京に行こうとは思わないよね。
携帯電話が無い時代。すぐに連絡がつく手段が無いので、親は心配だろう。
・東京では父親に会えたものの、すでに新しい家族ができており、自分の居場所が無いことを知った里伽子は、その夜、ホテルの部屋でヤケ酒をあおって寝てしまう。
高知に帰ってきてからも、里伽子のイライラは続いていた。
松野にプロポーズされたのだが、里伽子の癪に障ってしまい、暴言を吐きながら振ってしまう。
それを松野から知らされた拓は怒り狂い(拓もあれからイライラが続いていた)、里伽子と廊下で会うなり大喧嘩に発展する。里伽子は拓にビンタを食らわしたが、拓も手加減なしでビンタを返したのである。
男性の力で、手加減なしのビンタは痛そうだ。
・季節は秋になり、文化祭の準備の真っ最中であった。
各クラス出し物があり、祭りに向けて準備や練習があるものだが、里伽子は一切参加をしなかった。
そのため、クラスの女子から責められ、つるし上げになっていた。
里伽子は『参加したくないから参加しない』という。
確かに、参加は強制ではない。参加したくなければ参加しなくていい。でもさぁ‥‥皆が参加するなら参加する(これは同調圧力になるのか?)のが普通じゃないの?と、リーダーは責めるが、里伽子は一歩も引かなかった。
拓は遠目から見て見ぬふりをして傍観し、一部始終を見られていた里伽子は泣いてどこかへ行ってしまった。
すると、そこへ松野がやってきて、里伽子が泣いていたが、何が遭ったのかと拓に問う。
これこれこういうことが‥‥。すると、なぜつるし上げを止めなかったのかと松野は拓を責め、拓を殴り飛ばして去っていったのだった。

里伽子に責められ、松野にも責められ、ぎくしゃくしてきた仲。
回想を終え、現代から俯瞰する拓は、当時のわだかまりについて想い、あの時代特有の『自我』について振り返るのであった。

スタジオジブリの『若手制作集団』を育てるための企画。
これがヒットすれば、2作3作と続ける予定でしたが、思いのほか伸びなかったため、1作のみとなってしまった(爆)。
実在の風景が随所に登場し、今でも聖地巡礼が絶えません。
若手集団が、若手の感性をもとに若手向けに作ったため、同世代には受けた作品ですが(私は今でも好き)、幅広い世代までは及ばなかったようですね。