美女と野獣

1991年/米
監督:ゲーリー・トゥルースデイル
音楽:アラン・メンケン
主演(声):ペイジ・オハラ/ロビー・ベンソン/リチャード・ホワイト 他


ベルは“本の虫”と呼ばれるほどの、暇さえあれば本を読みふける女性。
※ベルは通称で“美しい人”の意味。ベルも野獣も、本名は最後まで明かされていない。
村の人は本に憑りつかれたベルを“変人”と罵り嘲笑った。父親も発明家なので尚更である。
そんな変わり者のベルを、妻にしようと躍起に燃えるガストン。
村一番力が強い彼は、「俺の妻になれるなんて幸せな女性だ!」と豪語し、ベルにプロポーズをする。
しかしガストンは、ベルの事を愛してはいない。ベルが街一番の美人だから、妻に欲しいだけである。
それを知っているベルは、ガストンにプロポーズされることを悪夢かのように嘆き、断固拒否。

ベルの父はある日、山中で道に迷った挙句、止む無く城に助けを求めた。
城の使用人達は、身体が冷え寒そうな父を哀れに思い、城に招き、濡れた服を乾かして温かい茶を淹れもてなしたが、城主は、許可なく城に招いた事に激怒し、直ちに帰るように命令した。
父は、城主の姿が醜い野獣であったことに思わず息を呑み、醜い自分の姿を見られた野獣は、『自分を嘲笑った』として父を牢に閉じ込めてしまう。
城主は王子であり、元々は人の姿をしていたが、労りの心を持たなかった為に魔女に呪いをかけられ野獣の姿にされてしまっていたのである(野獣が人を愛し、愛された時に呪いは解けるそうだ)。
※確かに王子も悪いが、騙してこんな仕打ちを浴びせる魔女もどうかと思った。まだ12歳だったんだから許してやれよたらーっ(汗)

ベルは父を追って城内に入り、牢の中で咳き込む父の姿を見て、身代わりに囚人となることを希望する。
野獣は、ベルが女性であることで呪いが解けるチャンスだと受け入れるが、労りの心を持たない野獣は、父とベルの別れの挨拶もさせずに、父を城内から追い払い、ベルに泣かれてしまう。
罪悪感に苛まれた野獣は、彼女に情けや気遣いをかけるうちに、彼女を愛し、ベルの笑顔を絶やすまいと思った。
その心は徐々にベルにも伝わり、ベルもまた野獣の心の内を探ろうとする。
荒々しい性格の中に秘められた野獣の真の心は、とても優しくて親切であり、ベルもまた彼に惹かれていく。
※スペシャルエディションでは、幻の名曲『人間に戻れたら』の歌に乗せ、使用人達が人間に戻れる日を夢見て掃除をしたり、12歳で野獣となり読み書きを覚える事が出来なかった彼の為、ベルが本を読み聞かせる場面がある。
荒れた城の筈なのにダンスホールがピカピカな理由と、ベルが乗ってきた馬はどこに?等の謎が解け(笑)、さらには城の敷地面積や外観なども知ることが出来る。
※カットされたのは、歌であってシーンではない。歌が本編に組み込まれることになり、シーンは急きょ描き下ろされた。

ベルの父が病に侵されていることを知った野獣は、ベルの悲しむ顔を見たくない為、城から解放してしまう。
家で父を看病するベルは、野獣が実はとても優しかったと父に語ったが、ガストンは、野獣を話す時のベルの顔を見て、ベルが野獣を愛していると知り‥‥ベルを父共々監禁し野獣を殺しに行こうと村人を嗾け城へ向かうのであった。
ベルと結婚したいがために、医者と手を組み父を患者に仕立て上げる卑劣な行為は、もはや愛ではない。物のようにベルを扱う彼に、ガストンこそが“野獣”だと断言するベルの言葉は、愛をテーマに描いた作品の本質を捉えている。


魔女の宅急便

1989年/日
監督:宮崎駿
原作:角野栄子
声:高山みなみ/山口勝平/佐久間レイ/戸田恵子 他

13〜14歳。大人ではない、しかし、子どもでもない時期。
魔女のキキは13歳を迎え、親元を離れて独り立ちすることになった。
「独りで生活できるのかしら?」という両親の心配をよそに、当のキキは、おおはしゃぎ。
『月が綺麗だから』という安易な理由で、「今日発つの!さっき決めたの〜」と、独り暮らしの準備にとりかかる。

夜空を優雅に飛び、「街が綺麗ね〜」「何処に住もうか?」と、今後の計画性は0たらーっ(汗)
そんな時、キキと同年代の魔女が現れ、キキに挨拶をしにきてくれた。
彼女は、キキよりずっと大人びている。
「私は占いができるのよ。で、貴方は?」
聞かれてキキは、自分には、特技と言えるものが無いことにはじめて気づく。

翌朝、海の見える街に辿り着いたキキ。
時計塔‥‥港町‥‥にぎやかな店‥‥活気溢れる人達。「決めた!私、ここに住む!」
しかし、キキの希望に満ち溢れた思いは、ガラガラと──崩れていく。
キキに何の関心も持たない街の人々。みんな、キキを避けて歩いている。
ホテルに泊まろうとするも、ホテルマンはキキを冷たくあしらう。
『魔女の修行』について、知らないので仕方ないが、あまりにも冷たい扱い。
その見下された物言いに、キキは怒って帰ってしまう。
街に着いてから、初めて落ち込むキキである。
黒猫のジジは、「他の街を探そうよ。もっと良い所があるよ」と、冷たい街の雰囲気が気に入らない様子
キキは途方に暮れ、考えなしに飛び出した自分が浅はかだったと悔いた。

だがそこに、転機が転がり込んでくる!
パン屋に来た客の「忘れ物」を、女将さんの代りにキキが届けに行ったのである。
おかみさんのパン屋でお礼をされている時、ふと「今夜、何処に泊まるの?」という話が出て‥‥なんと、空き部屋を使っていいと言うのだ。

やっとこさ、独り暮らしの生活が始まった。炊事、洗濯、料理。全ての家事をこなせるキキは、さすがである。
しかし、のうのうと毎日を過ごしてはいられない。
独りで暮らす為には、お金を稼がなくてはならないからだ。
私には何ができる?今日、お客さんの忘れ物を届けに行ったら、とても喜んでくれたっけ‥‥そうだ!『お届けもの屋さん』をやろう!
看板名は、『魔女の宅急便』
なぜ宅急便なのかは、スポンサーが『ヤマト運輸』だから。恐らく、キキの相方のジジが黒猫なのも、「“黒猫”ヤマトの宅急便」のキャッチコピーからでしょうか。

仕事も順調に乗り、独り暮らしの生活を存分に楽しんでいるキキ。
友達も出来た。トンボという男の子と友達になり、幸せいっぱいのキキ。
しかし日を追うごとに、何かがキキの中で変わってゆく。
黒一色の自分の服が、とても地味に思えてならない。女の子がトンボに話しかけるのを見ていると、無性にイライラしてくる。
それが、小さな『恋』の始まりであることに気づかないキキは、モヤモヤした気持ちを抱いたまま、1人で抱え込み、悩んでしまう。
その悩み(ストレス)が体に変調をきたし、キキは、突然ジジの言葉が理解出来なくなくなってしまう。
「変なの。ジジの言葉が急に分からなくなったわ」
慌ててホウキに飛び乗り地を蹴って────うそっ飛べない!?
空を飛べない以上、宅急便の仕事は休業するしかない。空を飛べなければ、私は何の役にもたたない‥‥!愕然とし、途方にくれるキキ。
そんな折、キキは、唯一心を許して話し合える『絵描きの女性』に会い、慌ててその手に縋りつく。
「私もキキと似たような事があったよ。突然絵が描けなくてね。描いても描いても気に入らないの」
そして、女性はこう言った。「その時分かったの。その画が“真似”だって」
母のお下がりのほうきで空を飛び、母の後ろをただ飛んでいたキキ。
「私、昔は何も考えなくても飛べたの。でも今は──どうやって飛んでいたか、分からなくなっちゃった」
『飛ぶ』とは?飛ぶとき、私は何を考え、何を思ってて飛んでいたのだろう‥‥。
絵を模写し、真似をしているだけでは、それがどんなに上手くても所詮は“嘘”である。自分自身の“絵”を描かなくてはならない。
飛び方だってそうだ。キキの持っているほうきは“母”の物。キキは自分のほうきを持ち、自分の飛び方で飛ばなければならないのだと──。

数日後、トンボが乗った飛行船が、事故に遭ったと聞かされるキキ。
宙吊りになったトンボを目の前にして、ほうきを持たないキキが取った行動は‥‥‥‥。

子どもから大人へ──。考え方、価値観、生き方。何かが変わっていく年代の葛藤や迷いを、描いた作品です。
因みに、映画は『時間枠』がある為、端折っているシーンも多々あります。
是非、映画と合わせて、小説をお読みになることをお勧めします。
   

おもひでぽろぽろ

1991年/日
監督&脚本:高畑勲
CAST:今井美樹/柳葉敏郎/本名陽子/寺田路恵 他


 私の母が観れば、時代にマッチしている映画なので、「あったあった〜」と思いで浸れるが、私は、本来は世代が違うため、共感できないはず。
 しかし、なぜだか気になり、観るたびにほのぼのとし、心温まる作品です。

 田舎を訪れたタエ子。田舎の素朴さ、静かさ、懐かしさに、「ずっとここで暮らせたらいい」と思うようになっていく。
 しかし、「じゃぁ嫁になってくれないか?」と言われてしまうと、「それはちょっと‥‥」と口ごもってしまう。
 『田舎に住みたいと言ったけど、農家の嫁になって“住む実感は無かった”自分がいる』。タエ子は、自分の浅はかさと恥ずかしさのあまり、家を飛び出してしまう。
 確かに、口では田舎を褒めていても、実際にそこに永住できるかとなると、それとこれとは別問題のような気がする。
 私の父の実家は伊勢です。子供の頃はよく泊まりに行って、釣りたての魚を刺身にして食べたり、海で泳いだりしました。
 特に夜空が凄くて、天の川をずっと眺めて、ここでずっと暮らせたらなぁ〜と思ったものです。
 でも、そう思うだけ。『実際に住む』という発想は沸かない。
 コンビニ無い。ドラッグストア無い。レンタルショップ無い。ショッピングモール無い。映画館無い───。都会(小牧は都会のうちに入らない?)に慣れっ子の私が、田舎に暮らすという実感は──(汗)。

 帰りの電車内で、タエ子は、遠ざかっていく田舎をずっと眺めている。
 何かが、タエ子の中にひっかかっている。
 すると、小5のタエ子が、今のタエ子の元に近づいてきて、こう言います。
 
「ねぇ帰ろうよ。あの人のこと──好きなんでしょ? ねぇ帰ろうよ」

寝台車の中でタエ子が言っていた、「青虫はさなぎにならないと蝶になれない」
さなぎは、小5のタエ子自身。
タエ子は、蝶となって大人へと成長し、小5のタエ子に別れを告げて、新しい人生を歩き出した。
──晴れやかだけど切ない瞬間でしたね。

子供の心と大人の心が混在する、微妙な年頃を表現するのって、難しいと思うけど、素晴らしい作品でした。

 因みに、私が一番共感したシーンは、変に思われそうですが、『分数の割り算』なんですどんっ(衝撃)
実は、私も同じような疑問を抱いていたんですよね。
「分数を分数で割るって、どういうこと?」
「2/3個のりんごを、1/4で割るっていうのは、2/3のリンゴを4人で分けると、1人何個かってことでしょ?」
 タエ子が、「だからこの答えは1/6」というと、それは掛け算だとお姉ちゃん。
「えー!?かけるのに数が減るの──!?」は、似たような疑問を抱いていた私にとって、嬉しいものがあります。